大正時代には、校門をくぐったところに(現在の柳のある位置)に子どもが二人でやっと抱えられるくらいの大きな「枝垂柳の木」があったと伝えられております。

 『柳の学校』と言えば福井市内の人でも知っていたほどで、『三国に行くのには柳の学校を通っていけ」と言われていたそうです。【新郷小学校 百年史より】

 現在の柳の木は当時の物とは違いますが、電柱の頂上に届けとばかりに成長しています。

2012/5/24